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連合書道展沿革

 連合書道展の第1回は、昭和23年のことであった。以来、昭和59年冬から夏へ移動のための年2回開催を除いて、毎年1回ずつ開かれてきたから、今年で70回を数えることになる。キャッチ・フレーズに「明るく、楽しく、権威ある……」とあるように、参加各書道団体は、思い思いの作品や日頃の成果を示す作品を自由に発表しており、いわゆる公募展の形をとらず、出品した作品は全て陳列するというアンデパンダン形式を採用しているところが、大きな特色になっている。現在、約80展はあるという都美術館での書道展の中でも、極めて特異な展覧会となっている。
 連合書道展が始められた昭和23年頃は、第2次世界大戦が日本の敗北という形で終結した直後のことであり、とても書道展開催などという諸々の条件が整うことのできぬ厳しい情況のなかにあった。
 昭和21年から同23年頃には、都の美術館(いわゆる旧館時代)の夏と冬のシーズンは殆ど空いており、春、秋の気候のよい時は、絵画、彫刻の団体展が占めていた。そのため、書道展は、この空いているシーズンなら、いつでも借館できたといってよい。それでも書道団体展は、15となかったであろう。その全てが、いわゆる公募展であるから昭和23年に開かれた連合書道展は、まさにそのユニークさにおいて光彩を放ったといってよい。
 焼野原の東京には、画廊や催事場などといった施設は皆無に等しかった。書を指導しても、社中の者が発表する場がない。この連合という新形式を編み出し、都美術館に交渉し、借館したのが、当時は書道文化院といっていた現一般社団法人書芸文化院(法人としての設立許可・昭和26年4月5日)元理事長の飯島春敬氏である。この企画は、当時社中展の会場探しに苦労していた各団体には大いにうけたようであり、当時の参加団体名を見ると、現在では大団体に発展した名前がズラリと並んでいる。因みに、第1回展の参加団体を記しておく。( )内は、記録に残っている代表者名。
 朝聞書道会(松井如流)、瑞雲書道会(豊道春海)、吟舟書道会(江川吟舟)、大日本書芸院(阿部翠竹)、和堂書道会(植村和堂)、紫雲書道会、群鵞会、玉淵書道会(加藤玉淵)、祖燕書道会(青山祖燕)、春敬書道院(飯島春敬)、汪亭書道会(鈴木汪亭)、岡麓書道会(岡麓)、芝香書塾(川口芝香)、随鷗書道会(金子鷗亭)、翠邦書道会(桑原翠邦)、雪窓書道会(石井雪窓)、有宏書道会(栄田有宏)、二水会(相沢春洋)。
 連合書道展は、公募展ではない。そこで、一部では、現在の東京都美術館の公募展示場を借館するのはどうか、といった批判もあるようであるが、これは、東京都美術館の現行規則が成立する以前から、前述のような経緯があって開かれ、その過去の実績が認められて借館許可が下りているものなのである。戦後の荒廃した世情の中にありながら、日本の文化の中で消えることなく脈々と引きつがれて来た「書道」を生かし発展させるために、必要欠くべからざる事業として、連合の書道展は開かれたのであった。その頃としては、画期的なこの書道展が、当時の書壇のリーダー達からも、拍手をもって迎えられたのは、言うまでもないことであった。
 本展では、時宜に応じて、「特別企画」を催してきたが、昭和61年の第37回展より、新しい企画として「関東女流書展」が開催されることになった。今回は、その第33回展である。連合書道展でなくては実現出来ぬこの企画、その成果に期待をしたい。

●連合書道展参加団体●

   
春敬書道院(酒井美春)→PDF 立誠書道院(大賀晴苑) 墨佑社(渡辺墨仙)→PDF
東門会(本橋郁子)→PDF 書人社(竹前磧斎)→PDF あづさ書芸社(石田敬朋)→PDF
太久磨書芸社(飯島恵美子) 馨和会(片根苳雨)→PDF さきくさ会(石川昇玉)→PDF
蒼書芸院(竹内久晶) 銀扇会(松井玉箏)→PDF 湘承会(渡邉之響)→PDF